南海地震あれこれ
なぜ南海地震は起きるの?

土佐湾沖のプレート地球の表面は「プレート」と呼ばれる厚さ数十キロメートルの巨大な板状の岩盤に覆われています。このプレートは年間に数センチメートルから十数センチメートルという、非常にゆっくりとした速さで動いています。

土佐湾沖では、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込む動きをしています。このため毎年毎年、2つのプレートの境界付近でひずみが少しずつたまっていきます。ひずみに耐える力が限界に達した時に、引き込まれたプレートが急に元に戻ろうとはね上がることにより南海地震が発生します。南海地震が発生すると、高知県全体が大きく揺れます。さらに、海底地盤の動きによって海面が大きく持ちあがり、その波が伝わり沿岸域では大津波が発生します。

⇒南海トラフ巨大地震による被害想定について(高知県ホームページ)

プレート間の動き
過去の南海地震

南海地震は、これまでおおむね100年から150年ごとに発生しています。1946年(昭和21年)に発生した昭和南海地震の規模が小さかったことから、エネルギーがまだ残っていると考えられ、次の南海地震は100年を待たず今世紀前半にも発生しるおそれがあるといわれています。過去の南海地震は、3つの地震が同時に発生するほか、数十時間から数年の時間差で発生しています。また、南海地震は通常大きな揺れと津波を伴いますが、1605年の慶長地震では、揺れによる被害の記録があまりない一方、津波による大きな被害があっという記録が残されており、『海溝部付近の震源域』で起きた津波地震であったのではといわれています。

1600年以後の東海・東南海地震と南海地震

高知県内各地には当時の震災により、どれほどの被害があったのかを物語る地震碑が残されています。下記の写真は安政南海地震と昭和南海地震の時に津波が来たところにある碑です。


眞覚寺地震日記

七ッ半時にわかに一天薄闇うすぐら相成あいなり近代未曾有みぞうの大地震 山川やまかわ鳴り渡り土煙空中に満ち飛鳥ひちょうも度を失い、人家は縦横無尽じゅうおうむじん潰崩かいほう瓦石がせきは四方へ飛び、大地破裂してたやすく逃げ走る事も成りがたく、男女只狼狽周章ただろうばいしゅうしょうし児童呼叫こきょうの声おびたゞし。間もなく沖より山のごとき波入り来たり宇佐福島一面の海と成る。今夜月の入り迄に津浪入る事およそ八、九度 壱番浪より弐番三番の引き汐に浦中うらじゅう皆流るゝ[そうじて大変の時の汐は進むは緩く退くは急也きゅうなり]福島中須賀の間は家壱軒も残らず、渭ノ浜山際いのはまやまぎわ迄波溢れ入る。(中略)此の度当国流損りゅうそんの在所夥敷おびただしく、浪入らざる土地は地震の為にゆり崩され無事なるは一ツもなし。今日同時御国おくに城下大地震郭中かくちゅう町家共まちやとも過半潰れ込む。同じ刻限より下町しもまち出火地震中の事ゆえ火を救うものもなく、自然と焼け募り御町方会所おんまちかたかいしょより下 新町農人町辺迄焼失。

長期浸水

地震が発生すると高知県内の13市町では地盤の変動により、標高の低い土地が海面より低くなり長期にわたって浸水する恐れがあります。
特に高知市においては、地震発生時に最大で1.7m地盤が沈降するため、さまざまな都市機能が集中する中心市街地が約2650haも長期に浸水すると想定しています。

各市町村の長期浸水面積(ha)

宿毛市 大月町 土佐清水市 四万十市 黒潮町
559 28 43 188 46
四万十町 中土佐町 須崎市 土佐市 高知市
50 48 336 125 3005
南国市 香南市 安芸市    
219 128 1    

昭和の南海地震
高知県や西日本各地に大きな被害をもたらした昭和の南海地震は、1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分に和歌山県潮岬の沖合い約50キロメートルの海底で発生しました。地震の規模を表わすマグニチュードは8.0でした。高知県の沿岸には4~6メートルの津波が押し寄せ、大きな揺れと津波により679人が死亡・行方不明、1,836人が負傷したほか、4,846戸の家屋が全壊・流失するなど大きな被害が出ました。

昭和の南海地震 当時の写真昭和の南海地震 当時の写真